はじめに
遺言書は書面によって作成されますので、内容によっては、記載されている文言がどのような意味であるのか争いになることがあります。具体的には、相続人の中に、遺言書に記載されたある文言について、Aという意味ではなく、Bという意味であるから、みんながAと考えるのは間違っていると考えた人がいるような場合です。その際には、話し合い等で解決できたらいいのですが、どうしても納得できないという場合には、裁判所で判断してもらうことになります。
そこで、今回は、裁判所において、遺言書の文言が、どのような基準で解釈されてきたかを、過去の最高裁判例などを参照しながらご紹介したいと思います。
遺言書解釈の基準について
まず、遺言書の解釈について言及している最高裁判決をご紹介いたします。
「遺言の解釈にあたっては、遺言書の文言を形式的に判断するだけではなく、遺言者の真意を探究すべきものであり、遺言書が多数の条項からなる場合に、そのうちの特定の条項を解釈するにあたっても、単に遺言書の中から当該条項のみを他から切り離して抽出し、その文言を形式的に解釈するだけでは十分ではなく、遺言書の全記載との関連、遺言書作成当時の事情及び遺言者の置かれていた状況などを考慮して、遺言者の真意を探究し当該条項の趣旨を確定すべきものであると解するのが相当である。」(最判昭和58年3月18日家月三六・三・一四三)としています。
この最高裁判決の内容としては、以下のようなことが書かれています。
遺言書の文言を解釈する基準としては、遺言書に記されている文言がどのような意味であるかという客観的意味を基準にすることも考えられますが、日本の最高裁では、遺言書を作成した人がどのような意図で、その文言にしたのかという主観的意味(真意)がどうであったかということを基準にするとしています。そのため、遺言の解釈にあたっては、遺言者の真意がどうであったかということを考えることになります。
その際には、今回問題となっている文言だけをみるのではなく、遺言書に記載されているすべての文言を確認し、今回問題となっている文言とその他の文言がどのように関連しているのかとか、遺言書を作成した当時の事情、遺言書を作成した人がどのような状況に置かれていたかなどを考慮して、遺言者の真意はどうであったかを探っていく、ということになります。
もっとも、この判決においては、遺言書に記載されていない、遺言書を作成した当時の事情や、遺言書を作成した人がどのような状況に置かれていたかなどの事情について、どこまで考慮するべきかなどについては言及されておりません。
どういうことかというと、そもそも、遺言書は、書面で作成する必要があったりするなど、民法に定める方式に従わなければ有効とはいえず(民法九六〇条)、遺言書の記載内容が大切になってきます。そのため、無限定に、遺言書を作成した当時の事情や、遺言書を作成した人がどのような状況に置かれていたかなどを考慮することは適切ではないと考えられています。
参考として、以下の最高裁判決(最判平成13年3月13日家月五三巻九号三四頁)をご紹介します。内容としては、「遺言者A所有の不動産である東京都●●区●丁目●番●号をXに遺贈する」旨の記載のある遺言があり、その「不動産」に何が含まれているのかが争いになりました。
第2審では、遺言書に記載されていない、その他の様々な事情を総合的、合理的に判断して建物のみ(土地は含まれませんでした。)が「不動産」に含まれると解釈しました。
それに対して、最高裁では、「遺言書の記載自体から遺言者の意思が合理的に解釈し得る本件においては,遺言書に表れていない……事情をもって,遺言の意思解釈の根拠とすることは許されない」と述べ、「不動産」には建物と土地が一体として含まれる趣旨の判断をしました。そのため、遺言書に記載されていない、その他の様々な事情をなんでもかんでも考慮したらいいということではないということを表しています。
以下、参照した条文です。
(遺言の方式)
第九百六十条 遺言は、この法律に定める方式に従わなければ、することができない。