<登場人物>
母(85歳)
長男:長谷川さん(58歳)
次男:二郎さん(53歳)、二郎さんの嫁まさ子さん(58歳)
※いずれも仮名
『ちょっと、これ、すごい金額・・・』と、次男の嫁が小声で呟きます。銀行ATMの画面に映った義母の預金額は、なんと8,000万円。
ここから長い、長い、長谷川さんと次男(プラス嫁)の争う族が始まったのです…
長谷川さんの父は10年以上前に他界しています。
母は少し前までは元気でしたが、老人ホームに入ってからは急速に頭の健康も弱ってしまいました。
それには理由がありました。
長谷川さんは大手企業のサラリーマン。結婚はしておらず、当時は支社長まで昇進し、全国転勤でバリバリ働いていました。一方の次男は転勤のない都内の地元企業に就職し結婚。次男の嫁は専業主婦。長谷川さんの母も都内在住だったため、家も近い次男夫婦を何かと頼りにしていました。父が亡くなってから次男の嫁はそれなりに義母に呼ばれることも多く、話し相手になったりする時間も増えていきました。とはいえ、次男の嫁も子供もいるのでそれなりに忙しい身。ずっと義母に付き合ってはいられません。そんなある日、義母が次男の嫁に頼み事をします。
『ちょっと、まさ子さん(次男の嫁)、私の代わりに銀行に行って現金を引き出してくれない?今日、この前買ったものの支払いがあるんだけど、私、ちょっと腰が痛くてね…。銀行まで行けそうにないのよ。』と義母が言うのです。次男の嫁であるまさ子さんはバスで10分くらいかかる最寄りの銀行まで行くのが面倒です。思わず、『めんどくさいなぁ。コンビニのATMじゃダメなの?』と呟いたものの、どうしても母が手数料かかるかもしれないしもったいないと言うのでキャッシュカードを義母から借りて、銀行に行ったのでした。まさ子さんは、『コンビニのATM手数料より、バス代の方が高いのよっ!』と心の中で激しくツッコミを入れながら渋々、駅前の銀行のATMに行きました。ATMの前でまさ子さんは目を疑います。せいぜいあって数百万円程度と思った預金残高がなんと冒頭の『8,000万円』もあったのです…
「一、十、百、千、万、十万、百マン、千万、、ちょっとこれ、すごい金額、、、」とまさ子さんは思わず呟きます。ここから次男夫婦による義母の囲い込みが始まるのです…
まさ子さんは今朝のことを夫に話します。
『ねえ、あんた。義母さん、預金額いくらだと思う?』
『え?そんなの知らないよ。あって数百万くらいじゃないの?』
『違うわよ、桁が違う!』
『え?何それ?』
その半年後、乗り気がしない母をなだめすかしながら、足腰が悪くなったということを理由に次男夫婦は、半ば強引に母を老人ホームに入れます。保証人は次男です。入所当時は母の認知症の症状はほぼなかったものの、入所してからは徐々に症状が進行してしまいました。
その後、まさ子さんは毎日毎日義母にささやきます。
『お兄さん(長谷川さんのこと)はお母さんのお金を狙っているのよ。』
『お兄さんはお母さんと一緒に住みたくないから仕事とウソをついて、お母さんの面倒を見ないのよ。』
『私たちはお母さんのためにこんなに時間とお金を犠牲にして世話をしているのよ。ホームの保証人にもなってあげたのよ。お母さんの子供でも長男(長谷川さんのこと)はダメだけど、次男は優しいわね。』
という具合いです。
最初は母も『何言ってるのよ。あの子(長谷川さん)がそんなこと考えているわけないじゃない』と言っていたものの、そんな生活がしばらく続くと段々とそんな気になってしまったのでした。ネガティブな情報を頻繁に吹き込むことで、相手にそういった感情を持たせること自体、そう難しいことではありません。特に長男である長谷川さんと頻繁に顔を合わせているわけでもないし、面倒を見てくれているのが次男の嫁である以上、母もそのように考えざるを得ない状況に追い込まれてしまったのです。老人ホームにも入っていますし、自宅暮らしの時とは交友関係も変わり、立場が弱い母に対する一種の洗脳と言えるでしょう。
長谷川さんは老人ホームに入ってしまった母の様子から、どうやら次男夫婦に母の預金が使われているような気がして、法定後見をすることを決心します。
長谷川さんは母が老人ホームに入って以来、どうも母の様子がおかしいと思い、また次男の嫁がどうやらATMからコツコツ母の預金をネコババしているということに気付きました。当初、長谷川さんは円満に次男と相談しながら法定後見の申し立てをするつもりでした。ところが、次男とその嫁は非協力的。のらりくらりとカラ返事で、なかなか法定後見の申し立てに協力してくれません。一方で次男夫婦がなんだかんだ理由をつけ、母に会うことが出来なくなってきました。後で分かったことですが、結果として法定後見が家庭裁判所に認められるまで毎日50万円ずつ次男の嫁がお金を引き出していたのです。そこでしびれを切らした長谷川さんは独自に弁護士に依頼をします。
当初は弁護士に『次男夫婦の使い込みを止めてほしい』『使い込んだお金は母に返してほしい』ということを依頼しました。しかし、現実には簡単にはいきません。そこで何とか母に法定後見を付けることになりました。
母が生きているうちに預金の使い込みに関して文句を言うことは非常に難しく、せめてこれ以上お金を使われなくするために選択したのが法定後見を利用することでした。長谷川さんの弁護士は老人ホームや区から、母の認知症の症状がどれくらいのものか資料を取り寄せ、無事に1年後(それでも1年かかりましたが)、母を法定後見の被後見人とすることができたのです。ここで腹を立てたのが次男夫婦です。長谷川さんを母に面談させないように老人ホームに根回ししたのです。老人ホームはあくまで保証人の言うことを聞きます。逆に言うと、一度保証人になってしまえば、ある程度コントロールできてしまうのです。そこで依頼者には面談させないように老人ホームに言ったのです。
その後、後見人になった弁護士は長谷川さんにこう言いました。『お母さまの預金額を知りたい??私の口からは言えませんが…8,000万円?そんなにないですよ。ハッキリ言ってお金はほとんどありませんよ』と。法定後見になるまでの1年間のうちに母の預金の大半を誰か(次男夫婦?介護費用?使い込み?もはや立証はできません)に使われてしまったのでしょう。
現在の法制度では、母が亡くなって初めて『相続人と言う立場で、亡くなった方の預金の使い込みに関して、証拠があれば取り返すことができる可能性はあります。』しかし、『母が存命中に、子供が、将来自分が相続人になるという期待に基づいて、母の財産に対する権利を主張することはできないのです。よって、母が亡くならないとそのお金についての権利主張はできないのです。』
裁判例では、アルツハイマー型認知症を患っている両親との面会を長男(兄)が妨害した場合において、長女(妹)が両親と面会する権利が認められたケースもあります。しかし、まだまだ実際にはこのように法的手続をとらず、親を囲い込まれて面談できないケースや、生前に親が認知になったことをいいことに毎日数十万円を引き出して自分で使ってしまうようなケースも多々あります。
これらのことが心配であれば、親の面倒は兄弟一方に任せず、親の預金の使い道についてもまめにチェックさせてもらうこと、また、親の預金を管理するようになった子供は『きちんと明細を付け、支出の領収書を残す』ことで揉めごとは少なくなります。金額の大小に差はあれど、このような問題は全国各地で起きています。皆さんも専門家に相談しつつ、揉めることがないように先手先手を打つべきだと思います。